K 流浪街の天気予報屋

折鶴
折原 周

 天気予報屋をやって、もう六年くらいになる。

 ぼくは鼻がイイから、雨の予報はめっぽう当たる。だけど本当はそれ以外、雪だの嵐だの大風だのを当てるのは、実はちっとも得意じゃないんだ。

 でも、充分。平気。毎日、明日は雨が降るか降らないかだけを当てられれば、結構いい商売になる。

 要するに、「傘が必要か、そうでないか」ってのが、一番気になるもんなんだ。人間ってのは。

 裏路地通りの奥様方なんかは、また尚更だ。洗濯物が乾かなければ一日中不機嫌で、通り雨の一つにでも出会った日にはフライパンを叩く音、旦那さんと大喧嘩する声だってあちこちから響いてくる。煉瓦造りのボロ屋の軒先を、ちょっと借りながらそんな時ぼくは、かなり気まずくてコートと帽子で顔を隠す羽目になる。

「ああ、ブラウ!どこ行ってたの、探してたんだよ!」

「こんちは、ロイシーのおかみさん。今日もキレイだねえ」

「また……、バカ言ってんじゃないの。ブラウ、ほら、西の空が重いだろ?明日は晴れかね、どうだろう?」

 そんなこの街の、ぼくは天気予報屋だ。

 慌ただしく言って、去年生まれた女の子をあやしながら彼女が指差した、その先の流浪街の西の空は、確かに夕日を受けちゃいるけれど濁ったままの雲で覆われていた。夕食時の、鍋が噴きこぼれる一歩前の湯気の、その濃いやつみたいだ。色は橙鼠の色。

 齧っていたパンから染み出た、小指に付いたトマトソースを舐めながら、ぼくは少し目を閉じて考えるふりをする。少し時間を貰わないと、格好付かないからね。

 どうだろうな。今晩には一気に、バケツの水をひっくり返したみたいな雨になりそうだけど。でも夜明けごろの街の匂いは、湿ったレンガ道を立ち昇るその匂いは、太陽に照らされるからそうなるって予感がする。

 草の濡れた秋の匂い。花びらの落ちた、哀しい匂い。

「あー!あー!」

「こら、ミシェル!」

「うわっ、たったたた」

 小さな石階段にしゃがみ込んでる僕の髪を、小さなミシェルが思いっきり引っ張った!

 赤んぼって、嬉しそうに涎たらしながらそういうことするけど、結構痛いんだこれが。思わずびくんと顔をあげたら、ミシェルめ、ふわふわの金髪を何本もその手に握りしめて笑ってる。ロイシーの奥さんが慌てて高く抱き上げたみたいだけど、それも逆効果。

「夜は雨になるよ!でも、朝には晴れるから……、クルカにもホッジにも、仕事に遅れないようにって伝えて!おー、イテえ」

「そうかい。じゃあ明日は干し芋を天日にさらせるねえ。ありがとブラウ、はい一レント」

「僕の髪の毛代、追加で二レントくらい貰う訳にはいかない?いつもこれじゃあ、禿げちゃうよ」

「贅沢言わない。その代わり、また明日もウチの表に回って頂戴な。あんたの予言が当たったら……ミートパイを焼いてあげる」

「ホント!?」

 ロイシーの奥さんが、ころころってミシェルと一緒に笑った。少し太めの腕回りと、まとめきれていない栗色の巻き毛が一緒に、すごく楽しそうに揺れる。

 彼女の手料理は絶品で有名。中でも僕の大好物が貰えるんなら、明日はタダで予報してあげても悪くないな、って思う。

 二人が僕に手を振りながら、曲がりくねった路地通りのその先へ消えていく。途端に、階段横のパブで夕方の早い一杯を楽しんでいた親父連中が、野太い声で囃し立て始める。

「ブラウ、上手くやったな、おめえよぉ!ナンナのミートパイだって!?」

「いい商売だなあ、天気予報屋ってのは……、俺たちゃ毎日汗水たらして、鉱山で泥まみれになってるってのによ」

「うるせえっての。ああ、だけどまた、明日夕からは土砂降りだぜ、気をつけな。埋まっちまったら元も子もないぜっ」

「マジかよ……ついてねえ。俺、明日は北ライン担当だよ……」

「ああ、そりゃあずぶ濡れだなジーウェン」

「それは本当か?……天気予報屋、だと?」

 この街のパブでビールを飲んでいるのは、北のバーツ鉱山で働いてる奴らばっかりだ。みんな顔から髪から、髭まで汗と泥だらけで肌をランプの明かりに光らせてる。グラスの中身の減り具合も、もう似たようなものだ。

 女将のリンドさんが騒ぐんじゃないよ!って一喝するけど、そんなもので大人しくなるような奴らじゃあない。うるさくて賑やかで、僕はその中をかき分けるようにしてカウンターに進む。リンドさんに、僕もビールをってさっきの一レントを掲げたとき、その声がしたんだ。

「……天気予報屋?」

 もう一度そう聞かれて、僕は思わずカウンターの奥に振り向いた。

 リンドさんのパブは、この街でそのお袋さんの代からの名物パブなだけあって、店の作りあちこちに年季が入ってる。カウンターの樫の板だって鈍く重く横たわってるし、鉱山の親父たちの手元の一杯を照らし出すランプには、傘にもガラスにも煤がいっぱい。時々石畳の床を、僕たちの脚の間、きいきい軋むボロいテーブルや椅子の間を、鼠の親子が駆け抜けていったりもするんだ。

 そのパブの、カウンターの一番奥。いつも旦那さんのキーオが、リンドさんの勢いににこにこ笑いながら肉をあぶったり、パンを切ったりしてる調理場の前のあたり。

 店の中でも一番奥にあたるから、夕焼けのぼんやりした光は到底届かなくて、既に夜がしっかり始まって淀んでいるそこに、二人の男がいた。

「……?」

 僕はこれまで、こんなに真っ黒な人間は見たことがない。

 二人連れで、若い男と年よりだ。二人とも黒づくめの服装で、中でもその若い男のほうは、本当に肌以外、全部まっくろだった。

 髪もマントも、ズボンもブーツも。だけど夜闇の黒さとは違ってまた全部、柔らかく艶があって、滑らかな黒だ。長めの前髪の流れは白い額に吐息のように触れかかっているし、マントの流れる濃淡の具合なんか、うっとりする。

 ブーツの革の色合いも、深みがあってはっきりしている。そして、何よりもものすごい瞳の色。

「……きみ、天気予報屋だって?」

 意識して聞けば声も、深い夜の森の声みたいだ。

「……。」

 ものすごい、って言ったのは、何て言うかな。それ以外に、言葉が出なかったからだ。

 黒なんだ、夜空みたいに真っ黒なんだ。でも幾つもの何かが煌めいてる、その奥に、必ず何かを持っている。

 そんな瞳の色に僕は、柄じゃないけど今考えたら、ちょっと圧倒されて声が出なかった。

「そうだよ。何かブラウに用かい、お客さん」

 固まってる僕の手からレント硬貨を抜き取って、さっとビールのグラスをカウンターに押し出してきたリンドさんが、鼻を鳴らして僕の代わりに応える。リンドさんも黒髪だけど、だけどこの人と比べると明らかに黒じゃない、違う色に見えてくる。

 見慣れない人だ。少なくとも、この街の連中とは何もかもが違う。こんな人、僕は見たことがない。

「天気予報……屋なら、聞きたいことがある。さて、きみは天気について、どこまで正確に答えられるんだ?」

「若さま。畏れながら、斯様な者の戯言を真に受けられては……!所詮は児戯のようなものでございましょう、信ずるには及びますまいて」

「ちょっと、オジイさん失礼なこと言うなら追ん出すよ。ブラウの予報はよく当たるんだから。ねえみんな!?」

「へえ」

 背後で労働者連中がそうだそうだと、リンドさんの声にさらに囃し立てるように喚きだすのをその人は、どこか嬉しそうに楽しそうに見ている。

 そして席を立った。立つと、相当に背が高い。

 だから歩幅も大きくて、僕の真横に来るまでに、たったの三歩もかからない。ただ歩くたびかちゃかちゃと、マントで隠れた腰のあたりから軽く楽しげな、でも有無を言わせない金属音がした。

 剣の音だろうか。貴族なんだろうか、この人。

 僕は途端に、自分の擦り切れた灰のコートがさらにみっともなく思えて、思わず半歩後ずさってしまった。ああ、足音も僕のは全然違う。潰れたカエルみたいな声を出す、僕の革靴。

「俺の知りたいのは、三日後の夜だ」

 でもそんな僕の様子にはお構いなくその人は、ぐっと身を乗り出してきた。うわ、僕は背をそっくり返らせて必死で踏みとどまる。

「三日後の夜。いや……出来るならその前後一日の具合が知りたい。場所はルハン荒野の北の岩山、知ってるかな」

「……う、うん。火吹き竜が住んでるって噂の、あの……ゼモード山のこと?」

「そうだ。どうだろう、明日じゃない未来の天気を、きみは……この街でない空のことを、どこまで読めるんだ?」

 言いながらさっと、その人はあの腰のあたりからきらりと光る何かを、僕に突き出す。

 ナイフでも突きつけられたかと、また僕が怯むのを尻目に彼は口元に、僅かな笑みをたたえている。

 まるで手品みたいに鮮やかに、それは彼の左手からあらわれて落ちた。きいん、と透き通った音がカウンターの上に広がる。

 僕とリンドさんの、ちょうど真ん中に転がったその一万レント金は、いや、多分そうだと思うんだけど、初めて実物を見たからちょっと自信は無いんだけど、でもとにかく本当に金色で綺麗だった。すごく。

 こんな風に光る金属があるのかって、一瞬後からしばらく僕は放心したくらい。いくら他国では採れない貴重なバーツ鋼でも、これに比べたらただの鼠色の塊だ。

 パブの明かり、小さなランプの明かりを幾つも受けて、でもそれは受けたものを全て煌めきに変えていた。大きさはレント硬貨よりも一回り小さいのに、まるで何不自由なく愛されてる少女みたいだ。

「自信があるなら、それを取れ。……代金が不足なら、言い値で聞こう。どうだい?」

 彼は言って、少し肩をすくめたようだった。相変わらず、にやにやというかにこにこというか、どこか笑ったような顔のままだ。

 だけど言い方とその瞳は、あのすごい色の瞳は、明らかに僕を値踏みしている。

 そう、ピンときた。

「……ちっ」

 そして、むかっときた。

「ブラウ、ちょっとアンタ、どうすんだいこれっ……ちょっと!」

 いつも肝っ玉座ってるリンドさんも、流石に声が裏返っている。金貨は僕らに光のウィンクを続けながら、また嬉しそうに微笑むだけ。

 だけど僕はそれを無視する。

 金色の前髪越しに、目の前の男を睨みつける。そして一息ついて、ちょっとだけ、ビールをそうちょっと一口、口を湿らせる。

「……どこの貴族様か知らないけど。当てるのは簡単だよ、僕は天気予報屋でメシを喰ってるんだからね。だけど」

「……だけど?」

「そこまでして何で知りたいのさ。あんな人っ子一人通らないとこに行って、何するつもり?」

「それはきみには関係がないんじゃないかな、天気予報屋くん?きみの仕事は天気を読むことで、俺が知りたいのはその日その晩、そこで雨が……出来るなら大雨が降るかどうかってことだ。きみの予報だと明日明後日は雨の波が来るみたいだけど、さあ、三日後のゼモード山はどうなる?」

 僕の反論にそいつは笑いを、明らかににやりとした風に変えた。数歩の背後からは、さっきこいつを若さまだとか呼んだ爺さんが、白い眉をひそめて僕を睨みつけている。

 若さま、に失礼な口をきくなとでもいったところ、だろうか。ああ、やっぱりこいつ、見慣れない奴だとは思ってたけど、どこかの貴族のお坊ちゃんなんだろうか。

「……。」

 僕は黙りこんだ。

 うっさんくさい、奴だ。

 態度も、言い方も気に食わない。要するに、気に入らない。

「……はは、そうか。読めないなら読めないで構わない。それはきみにあげる」

 だけど僕が黙ってビールをすすってると、そいつったら、とんでもないことを言い出すじゃないか!

「待っ、待てよ!」

 ががん!

 僕は思わずカウンターに、ビールのグラスを叩きつけてしまった。席に戻りかけていたそいつが、そんな酷い音を聞いておきながら、何気ない風にこちらを振り返る。

 ああ、真っ黒な髪、真っ黒なマント、真っ黒なブーツ。だけどそのすごい黒さの瞳に、僕の金髪の少しが映る。

 その瞳はまだ笑ってる。そして、吠えるなよと言っている。

 僕が、僕に、天気が読めないだって?大雨が、雨の匂いがわからないだって?

 ふざけるなよ。ふざけてんじゃねえぞ。

 三日後。三日後の夜。暦で言えば葡萄月の十六日目になる。

 僕は俯いて、そして目を閉じた。

「……ブラウ……?」

 三日後の夜。月が見える。

 風がざわざわ、肌を不安がらせるように吹いている。空には叢雲が固まったり千切れたり、思い思いの形で月光を受けている。

 だがそれが、荒野の真上で少しずつ連なってゆくのを、僕は見逃しはしない。その匂いが徐々に濃さを増してゆくのを、その匂いを、間違えはしない。

 黒々とそびえたつ岩山の天辺を、月が少し過ぎたくらいだ。

 丸みを帯びたそれがゆるやかに中空を過ぎ去って、ああ、匂いが濃くなり始める。朝日より、朝の足音より、それは真夜中過ぎに来る!

「……降る。土砂降りだ。真夜中すぎからずっと、朝まで……ルハン荒野は北半分、全部ずぶ濡れだ!!」

 僕は言った。叫んだ。

「月は出る。それが岩山の天辺の、双子の出っ張りを過ぎたら雲で真っ暗になるぞ。雨はその後……降り出したら、てこでも動かないのがやって来るぞっ」

 そして目を見開いて、そいつを力一杯睨みつけてやった。

 金の髪が逆立つよう。ぞわぞわと、全ての神経が燃え上がるよう。

「雨のことなら読めるさ!!数日先なら、どんなところの、どんな雨のことだって!!」

 だって、僕は天気予報屋だ。

 大風もかんかん照りも、それはちょっと勘弁して欲しい。でも雨のことなら誰よりも、僕が誰よりもよく知ってるよ。僕は天気予報屋なんだ。

 カウンターの上の金色の娘さんを、そして思いきり石の床に叩きつけた。

 また金属の、まるで弾けるような音がした。聞き様によっては何だか、どこか、歓びの声で誰かが叫んだような、そんな。

 店は静まり返った。

 リンドさんも、奥から顔を覗かせたキーオも、いつもなら黙ってろって言っても黙ったためしのない親父どもも、僕のあまりの剣幕に誰も何も言わなかった。

 金色の硬貨はそして、ちりちりと弾みながら、そいつの足元へ転がっていく。黒いブーツにこつんと頭をあてて、ようやく安心したようにそこで止まる。

 僕はまだ、睨んでいる。

 やがて、だけどそいつは笑った。確かに笑った。

「オルグ……!聞いたか!」

 その時見たその顔を、また僕は、どうやって言葉にしたらいいだろう。

 さっき、お高くとまった様な微笑は見た。その後のこちらを試すような笑い方も、振り返ったときのコドモを見るような笑みの目も、見た。

 そんなどれとも全く違って、だから、僕は言葉を失くしてしまったんだ。今も、声に出して言えないんだ。

 ねえ、だから天気に例えて言うよ。あの時のあの顔を思い出すたび僕は、土砂降りのそんな雨が、三日三晩続いたあとのこぼれ出る光と朝のことを、冬の嵐雲の中から透き通り落ちてくる天使の階段のことを、春の野原で真っ青な空の下、どこからともなく鳥のさえずりが聞こえてくる風のことを、そんなことばかり考えるんだ。

 とにかくそいつは、そんな風に笑ったんだ。

「……これは、予言だ……!」

 背後の爺さんが、慌ててこちらへ駆けよってくる。そのはずみに木の椅子が盛大によろめいて倒れたけれど、僕はそんなものどうでもいいくらいに、ただそいつの顔を見つめてたんだ。

 思えば、年は僕とそんなに変わらないのかもしれない。

 背が高いくせに、幼いようにも見える。

「若、若さま……」

「オルグ、間違いないぞ。俺たちは予言を得たのだ」

「……ブ、ブラウ?あんたそんなこと……、間違いないのかい!?そんな大口叩いて!!」

「な、何だよリンドさん。間違いなんかないよ。間違ってたら首を撥ねられたっていい」

「ブラウ!あんたねえ、明日の雨がどうだとかいう話じゃないんだよ!?どうすんだい、こんなこと言って……ほんとに死刑になったらどうするんだよ!?」

 リンドさんがカウンター越しに僕の肩を、思いっきり揺さぶった。

 ああ、珍しい。リンドさんの涙声なんて。

「ブラウ、おめえ、謝るなら今のうちだぞっ」

「つうか逃げろ!逃げちまえ!!」

 うるさいなあ。間違う訳ないだろう、この僕が。この、天気予報屋の、この僕が。

 がくがく揺さぶられながらそんなことを思っていた、だから声が出なかった僕の視界が、急に停止した。

「……ブラウ?」

「!」

 心臓が、止まるかと思った。

「俺は、メルヒス・クフィローだ」

 そいつが、言った。

 目の前。目の前すぎ。

 僕の顔を真正面から、至近距離から、そいつが覗きこんでいた。リンドさんに揺さぶられていた肩を、鷹が爪をたてるみたいに力一杯握りしめて。

「……俺は、ゼモード山へ行かなければいけない。竜を倒すんだ」

「……。」

「その後はペニー山脈へ向かう。それからワユジ高原……全ての竜を倒さなければ、この国は安らがん。それは、わかるだろう?」

 そいつが、メルヒスとか名乗ったそいつが、何か言ってる。だけど僕の頭は言葉なんて、全然理解していない。

 だってあの目が、あのすごい色の目が僕を見てる。夜空そのものみたいな目が、僕の前にある。

「竜が陣取る山は、古くからの街道の傍にある。この国が栄え富むためには、その道を利用することが必要なんだ」

「……え?」

「だけど何人もの人間が、あの竜たちには喰われ倒されてきた。このままじゃどうにもならない。だから俺は、俺が、倒さなきゃならない」

 ようやく、その現実離れした話が脳みその中に届いた時にはメルヒスの指は、もう絶対に僕を離しはしないとばかりに僕の肩に食い込んでいた。

 めきめきと音がする気がする。痛いなんてもんじゃない、もう苦しいくらい。

 僕は息が詰まる。痛みになのか、驚きになのか、それともそれ以外の為なのか。

「それには、きみの力が要る。力を貸して欲しい、ブラウ。きみのそれは予報じゃない……、予言だ。自分で、気が付いていないのか?」

「予報、じゃない……?予言、予言って……!?」

「竜の鱗はどんな剣も受け付けないが、雨に濡れるとなめし革のように緩むんだ。そこで心臓を一突き!」

「え、え、えええ?」

「古くからの勇者は、そうやって竜殺しをやってきたんだ。……大丈夫だ、きみの身は、僕が護る。だから」

 メルヒスの指が、そこでようやく離れた。

 ばさり、と漆黒のマントが優雅に揺れる。ランプにその肌の艶めきを見せつけるようにして、さらりはらり、流れ落ちて床に落ちる。落ちて、そこでも艶めかしくうねる。

「わ、若さま!そのような……っ」

「じい、黙れ。……この国の為なら、俺がひざまづくのは当然だ」

 メルヒスは、やっぱりどこかの、それも相当な貴族の家柄の出なんだろう。

 だって、信じられるかい?この僕に、膝を追って頭を下げる奴なんか、この流浪街には誰ひとりいやしないぜ。

 だけどひざまづくその姿は、ちっとも全然、卑屈じゃなかった。むしろ優雅で上品で、頭を下げられている僕の方が、すごくちっぽけな存在に思えた。

「ブラウ。力を貸してくれ」

 声が床に落ちて、立ち昇って来るように、僕の両脚をとらえる。

「雨のことを、予言して欲しい。俺と共に来てくれないか」

 雨。ああ、雨か。雨のことか。

 そうだな、来年のこととか、十年後のこととか、そんなこと言われちゃ困るけど。でも少なくとも明日のことなら、明後日のことなら、三日後、一週間後のことなら僕にはいつもわかっていた。

 匂いのせいだと思ってた。鼻がいいからわかるんだと、思ってたんだ。

 でも、違うのかな。それって。

 じゃあ、予言って何なのかな。僕って、何なのかな。

 そしてメルヒスは、そんな僕が必要なのか。僕の力が。僕のことが。

「や、やめなよブラウ!死にに行くようなもんだよ!?」

 うん、そうかもしれない。竜なんて、一度も見たことないし、そんなのを倒すなんて、おとぎ話の中のことにしか思えない。

 でも多分だけど思うんだ。メルヒスは、嘘を言っちゃいないってのは。

 少なくともそれは、何となくだけど、わかるんだ。

「……。」

 僕は黙ったまま、さっき落っことした一万レント金貨を拾い上げた。それはひざまづくメルヒスの足元に、まだ飼い主に忠実な猟犬のように転がって、こっちを見ていた。

 メルヒスの、目のことならわかる。夜と星のことなら、僕は天気予報屋だから、誰よりもわかるよ。

 雨のこと以上には、それはまだちょっと難しいな。だけど知りたい。

 そして、手に入れたい。

「……成功報酬は?これ……あと幾つ、貰えるの?」

「ブラウ……?」

「……初めて見た。こんなのも……全部、全部初めてだ。もっと欲しい。……もっと、もっと」

 金貨が、僕の手の中にある。

 見上げるメルヒスの瞳も、僕に向かっている。

「もっともっと」

 つまんだ金貨を透かして、メルヒスが僕を見つめている。

 くるくると回したら、またそれは楽しげに体のあちこちをくねらす様に輝いて、笑いかけてきた。表にはこの国の国旗が、裏には今の王様の横顔、クフィロー八世陛下の横顔が、刻まれている。

 だって、僕は天気予報屋だからね。

 僕の力が必要だなんて泣きついてきた奴を突っぱねたら、その名がすたるって、さ。  



K 流浪街の天気予報屋