C ローレイン

Por Fortuna
佐本陶子

 世界で5本の指に入ると言われる豪華なクルーズ客船内は、都内の湾口で着飾った男女を迎え入れていた。係留された豪華客船のシネマホールで行われる新作映画の舞台挨拶と先行試写会には多くの有名人が招待されていた。

 10cmのピンヒールも埋まりそうな絨毯が敷かれた廊下を、Tシャツ姿や、薄汚れたハーフパンツのカメラマンががちゃがちゃと機材を揺すって歩く姿が異彩を放つ。首から一眼をぶら下げて、報道陣にだけ貸し出される腕章を付けていれば、ドレスコードも許容されるのが暗黙の了解だった。

 ステージの上の主演俳優が舞台挨拶の口火を切った。デビュー作品でいきなり主演を務めた新人俳優は、緊張気味に何度か唇を舐めながら、「あいにくの雨で足元が悪い中、お越し下さってありがとうございます」と小さく頭を下げた。隣に立つ脇役の俳優が「足元も何も、ここ、地面無いって」と遮ると、客席がどっと沸いた。

 ネタバレになるといけないから、と出演者陣の大した内容の無い話が続き、主演俳優が「それでは最後までお楽しみ下さい」と何のひねりも無く締めくくった。その瞬間、ひとつのフラッシュが瞬いた。

 客席最前列の上手側に立ち竦んだ男が、構えていたカメラを下した。仕立ての良いスーツとドレスシャツを着た長身の男は、その瞬間まで、会場の背景に完璧なまでに埋没していた。出演者陣や客席が眉を潜める。一般客のカメラや録音機の持ち込みは厳しく禁止されていた。肩をいからせた係員が早足で歩み寄る。男はジャケットの胸元からポケットチーフを引っ張り出した。一見ポケットチーフに見えたそれは「報道 PRESS」と大きく印字された腕章だった。

 派手にプロモーションしたデビュー映画は大コケした。

 映画公開から3週間が経ち、赤字総額は10億、と囁かれていることは知っていた。twitterでは「ストーリーがいい」「脇役の存在感が秀逸」「リピーターです」と評判は上々だった。観客の評判がいくら良くても、売れたチケットが100枚では興業は失敗だ。ぼろくそに叩かれ悪評に次ぐ悪評だったとしても、チケットが10万枚売れることが商業的成功だからだ。上映映画館は先細り、映画館の前からポスターは外された。

 映画の公開前は、宣伝目的のテレビ出演、取材、ラジオ収録が絶え間なく続き、24時間のうち2時間だけが睡眠のために空けられた。今は24時間全てが自由時間で、週末に1件雑誌取材の予定が入っているだけだ。

 主演デビューとプロフィールが報道された瞬間から、親の七光り、と囁かれた。ハリウッド映画で数多くのアジア人役を演じる日系3世アメリカ人のデイヴィッド・ウチダは、新人俳優内田ショウの父親だった。

 デビュー作でいきなり10億の赤字を生み出す新人俳優に次の仕事を振ろうとするプロデューサーは居ない。所詮は親の七光りだ。目を見張るような芝居の才能も、驚くほどの美貌も、脳を揺さぶるような歌声も持ち合わせていない。

 点けっ放しのテレビの中には、芸人におだてられながら「今一番手に入り難い、赤坂の紅茶専門店が作るシフォンケーキ」を頬張っている女優が居た。来月から始まる冬クールドラマの主演女優は、数か月前、自分が「銀座の老舗和菓子屋が作る黒豆のパウンドケーキ」を食べた時と同じように「すごい、こんな美味しいの、食べたことない」と目を丸くして見せた。

「あむあむ、してるね、あむ、あむ、おいしいよって」

 足元で絵本を逆さに眺めていたエマがテレビ画面を指さし、女優をまねて口を動かした。2歳のエマは、仕事が立て込んでいた時期は祖父母の家で暮らしていた。3か月の神戸暮らしから戻ったばかりの彼女のしゃべり方は、どことなく関西のイントネーションを含んでいるようで、可笑しい。抱き上げるとけらけら笑った。

「エマ、散歩に行こうか。今日の夕ごはんは、何食べたい?」

 なっとうごはん。間髪入れずにリクエストする女神の頬にキスをした。

 スーパーのビニル袋を右手にぶら下げ、左腕に抱えたエマと、マンションの前で「とうちゃーく」と声を合わせた瞬間、フラッシュが瞬いた。

「何だコレ、フラッシュ、オフにしたのに」

 エントランスの壁に寄り掛かり、デジタルカメラに向かって、壊れてんのかオイ、と文句を言う男に見覚えがある気がする。

「失礼ですが、どちら様でしょう。どこの方ですか」

「あ、ええと、今はほとんど日本に住んでいませんが、一応、日本人です」

 どの週刊誌の記者だ、という意味で尋ねたのに、男は首を捻って国籍を答えた。

「じゃなくて。どこの媒体の方ですか」

「AP通信です」

 舌打ちすべきか、ため息を吐くところか、迷った結果、「あがって行きますか、お茶くらい出します」とパパラッチを自宅に招き入れていた。世間話をしたかったからではない。エマを抱えた左腕が限界に近かったからだ。

「芸能界ゴシップなら余るほど沸いているでしょう。デイヴィッド・ウチダのスキャンダルをわざわざ出さなくても、自由の国アメリカは華やかな話題に事欠いていないはずです」

 2杯のコーヒーをリビングに運んだ時、エマはテディベアの腹を枕にして寝息を立てていた。

「謙遜しないで下さい。デイヴィッド・ウチダは最も華やかな話題の中心の1人です」

「そのスターのこどもの写真は、いくら出したら買い取れますか」

 極秘の結婚式のドレス姿の写真を身内に10万ドルで売られたモデルや、お忍びバカンスをセブ島で楽しんでいた女優のトップレス写真を50万ドルで買い取ったゴシップ雑誌。フォトショップでいくらでも変えられるデータが新車より高いなんて、楽しい取引には思えない。

「いや、売りませんよ」

「もしかしてアメリカではすでにバレてるんですか。まだ報道されたって話は聞いてませんが」

「さあ。俺もあっちのゴシップ全て把握してるってわけじゃありませんから」

「デイヴィッド・ウチダの映画が公開されたのは9ヵ月も前です。ミルドレッド・カーティスの今の仕事だって、台所洗剤のCMと、来年公開予定のコメディ映画の脇役くらいですよ、わざわざ今ゴシップ出して世間の注目を惹く意味ありませんよ」

「ああ、あの映画の美人秘書役、ミルドレッド・カーティスに決まったんですね。でも、ミルドレッドが、今のこの状況と、何の関係があるんですか」

「関係も何も、その情報つかんだから撮りに来たんですよね。」

「ミルドレッド・カーティスの情報つかむと、何でわざわざ日本来なきゃいけないんです?」

「・・・鎌かけましたね」

「いや、俺、何の意図もありませんでしたよ」

「デビューしたての”ハリウッド俳優の二世”に隠し子」はフェイクだ。「世界的に有名な”ハリウッド俳優”に隠し子」が真実。エマの父親は、内田ショウの父親と同一人物だ。内田ショウとエマは親子と言った方が信憑性が高いが、本当は兄妹で、内田ショウの母親が出版社に勤務する一介の日本人なのに対して、エマの母親は10代の頃からハリウッド女優として稼ぎ続けるブロンドの女優だ。

 大スターカップル、ミルドレッド・カーティスとデイヴィッド・ウチダの噂は囁かれてはいたが、決定的な証拠はつかませなかった。お忍びで出産する直前に破局した。原因はミルドレッドの浮気だ。出産した病院を退院する前には、親権も養育権も父親に丸投げされていた。

 最もセクシーな俳優のランキングに名を連ねる日系人俳優も、生まれた子供が騒ぎ立てられまともに生活できなくなることを恐れる優しさは持ち合わせていた。そんな父親に泣きつかれて、突然できた妹を引き取った。

 AP通信から来たと言う一言で、早とちりして墓穴を掘った。20分前の自分を殴り倒して来たい衝動に駆られる。

「ショーくん」

 茶色い巻き毛をぐちゃぐちゃに乱したエマがテディベアと手をつないで起き上がった。

「俺とこの子を売るつもりなら、分かりました。徹底抗戦させてもらいます。法廷で話をしましょう」

 エマの髪の毛を撫で付け、携帯電話を取り出す。パパラッチが腰を浮かせ、手と首を横に振った。

「待てって。落ち着いて下さい。俺は写真売るつもりありません」

「じゃあ、どういうつもりですか」

 パパラッチはソファに沈み、うーん、と天井の隅をにらんだ。

「2ヵ月待って貰えますか。2ヶ月くらいしたら、たぶん、分かると思うんで」

「いきなり家族の写真盗撮したパパラッチに、2ヵ月後に何か良いことあるからプライベート写真流出にも甘んじろって言われて、信じるほどバカだと思われてるんですかね、俺」

 親子で世話になっている弁護士の名を携帯のメモリから呼び出す。

「うわあ」

「何ですか、今弁護士呼びますから、ちょっと待って下さい」

「おい、んなこと言ってる場合じゃないって」

 パパラッチが指差す先で、エマが「ショーくん、おしっこ」と足踏みして、その足元には水溜りができていた。

 エマの着替えと床掃除を率先して手伝ったパパラッチが、ソファに体を沈めた。

 帰れと玄関を指さしたのに、長身の男はぐずるエマに、お嬢様、どうぞこのドレスにお召替えを、と恭しくかしずいて見せた。召使に着替えさせて貰ったばかりの木綿のワンピースをひるがえしてピンクのパンツを丸出しにしている上機嫌のお嬢様は、テディベアとじゃれている。

「今日撮った内田さんとその子の写真は出しません。マジで。週刊誌にたれ込むつもりで撮ってるわけじゃ無いんで。何なら今この場でデータ預けます」

「データ要らないって言うなら、最初から撮らなければ良いのに」

「要らないとは言ってません。今マスコミに出すつもりが無いってだけで。2ヵ月待って下さい。そしたら分かると思うんで」

「だから、その2ヵ月に何があるって言うんですか」

「俺にも分かりません」

 データ、置いて行きます。また来ます。それじゃ。出て行けと言っても出て行かなかったパパラッチは、カメラからSDカードを抜き、名刺に重ねてテーブルに置くと颯爽と出て行った。日本人のはずのパパラッチの名は「ローレイン」と言うらしかった。

 来週は仕事の予定が無い、とスケジュールすら渡されなかった。だから木曜に突然電話が鳴りだした時も、洗い物の最中なのを言い訳に、見て見ぬふりをした。

「ショーくん、でんわ」

 テディベアと手をつないだエマが、ダイニングテーブルに置きっ放しの携帯電話に飛び付こうとする。

「待て待て、待てってエマ」

 ボタンに触ろうとするエマを止めたのは、ローレインと言う奇妙な名前の日本人パパラッチだ。また来ます、と言うセリフを律儀に実行して、3日に1回はマンション前でカメラを構えている。最近はエマが「ピース」を覚え、カメラを見ると自らポーズをとるようになった。

「はい。はい、はい?あの、落ち着いて喋って貰えますか?よく、聞き取れな…はい?イタリア、ですか。どうして、そんな。いえ、本当のこと、なんですよね?分かりました。はい、行きます。はい」

 イタリアが、何だって?テディベアを抱きかかえたエマを膝に乗せたローレインが眉間に皺を寄せる。

「急遽映画祭に呼ばれた。受賞候補にあがってるって。事情は分かんないけど、作品賞と、主演男優賞の候補になってるって、言われた。出来レースじゃなくて、ガチで授賞式で発表になるから、受賞の可能性がゼロじゃないって。今夜羽田から仁川に飛んで、乗り換えるらしい」

「神戸に行く時間は無いな。ベビーシッター代ははずんでくれるんだろう?」

「身元バレに比べたら安いものだよ。エマ、良い子にしてるんだよ、すぐ帰って来るからね」

 突然の出国と同時に朝の情報番組や、昼間の奥さまご用達番組で、内田ショウや、彼が主演を務めた映画が頻繁に取り上げられるようになった。大コケしたはずの映画は、再び盛り上がりを見せ、池袋の映画館が再上映を始めると、再公開映画館は全国に飛び火した。

 主演男優賞は惜しくも逃したが、作品賞を受賞したという一報を報じるメディアは、ドレスアップした内田ショウの写真を求めた。使われたのは豪華客船で先行上映会に先立って舞台挨拶をした時の写真だった。

 舞台上でライトを浴びる1人の俳優を斜め下から写し取った1枚。初めて大勢の「観客」の目に晒されるフィルムに対する覚悟。自分の手元を離れて誰かのところにいくフィルムへの別離。それをまとった一瞬の表情だ。

 映画祭終了を惜しむみたいに開催されるパーティに出席する他の出演者や監督に丁重な謝罪を繰り返して、主演俳優が予定より1日早く帰国したのは、「すすり泣き」と「重病」が原因だった。

「ショーくんいつかえってくる?きょうかえってくる?」

 とエマが電話口で泣き、

「悪い、俺の体の調子もあんまり良くない。心臓がやばい」

 とローレインが息も絶え絶えに呻いた。

 慌てて帰ってみれば、自分が主演した映画DVDが流れっ放しになっている自宅の居間でベビーシッター代行が熟睡していて、エマは、ご機嫌取りのために買い与えられたらしいスナック菓子を床一面にばらまいて大喜びしていた。背中を踏む。それを見たエマが歓声をあげて真似をした。

 目を覚ましたローレインはうつ伏せに転がったまま家主の顔を見上げて「ハロー」と力なく笑った。

「もしかして、心臓がどうのって言ってたのはマジか?」

「ああ、まあ、ちょっと動悸がやばくて。心臓が止まるよりはマシだけど」

 エマが病人の背中に馬乗りになって「どうきが、やばい、どうきが、やばい」と連呼した。家主の不在中にベビーシッター代行が繰り返していたのだろう。

「病院、行くか?」

 有名ブランドの一風変わったデザインスーツ姿のまま膝をつく。

「皺になるぞ」

「病人はスーツの心配なんかしなくて良い。これで10時間以上飛行機乗ってたんだから、皺なんて今さらだ」

 ローレインが顔を背けてため息を吐いた。どうした?

「そのスーツも良いな、と思って。帰って来てドア開けた瞬間の内田ショウの写真を撮らなかった自分を呪い殺したい」

「そんなこと言ってる場合か。いつでも撮らせてやる。さっさと起きろ。病院行くぞ。保険証くらい持ってるんだろうな」

「持ってない。て言うか、必要ない。落ち着いてきた。そろそろ、平気だ」

 よっこいせ、と起き上がる動作はひどく緩慢だ。

 小児科内科で世話になっているかかりつけ医に電話を掛け、マンション前に呼んだタクシーにエマを押し込む。1人で留守番をさせるわけにはいかない。

「おい、要らないって、病院は必要ない」

 ローレインはこの期に及んでタクシーに乗るのを拒否し続けた。胸板を力いっぱい押してタクシーに突っ込もうとすると、ドアをわしづかみにして、病院なんか行かない、と喚く。運転手が「お客さん、まずは乗って下さい、乗ってから話しましょう」と宥めすかし、エマが奥で「しゅっぱーつ」とはしゃいでいる。

 しばらく続いていた「いいから乗れ」「乗らない」の押し問答が突然止んだことに気付いた運転手が、腕時計から顔を上げた時、そこには熱烈なキスを交わす男2人の姿があった。

 不運な運転手は「何すんだこの野郎」「うるさい、俺の動悸は病気じゃない」と新たに勃発した下らない喧嘩を遮るようにドアを閉め、空のタクシーを運転して来た道を引き返した。

―――衝撃の熱愛 新人俳優内田ショウに男性の恋人?

―――映画賞受賞作主演 内田ショウにゲイ疑惑!

 スポーツ新聞の見出しを読み上げ、「驚きですね、有名なお父さんをもって大々的にデビューでしょ?それが映画賞受賞に引き続き、コレですから、話題に事欠かないとはこのことですね」と芸能デスクが嬉しそうにコメントする。テレビ画面に映し出されたスポーツ新聞には、男と熱烈なキスを交わす新人俳優の姿が鮮明に掲載されていた。AP通信のパパラッチがパパラッチさられるなんて、気が利いたジョークみたいだ。

 マネージャーには「誰と何をしようと内田さんの自由ですけど、パーティより逢引優先する俳優って印象持たれると、仕事し難くなりますよ」とくぎを刺された。

 マンションの前にはパパラッチが大集結している。話題の中心人物のマンションから一歩も外に出られなくなったローレインは、ソファにだらしなく寝そべりテレビを消した。

―――ゲイ疑惑の内田ショウに隠し子?既婚の噂も

―――内田ショウ すでに結婚していた!? お相手は?

 派手な見出しが躍るスポーツ新聞が大きく映し出される。

「ゲイ疑惑に続いて、既婚と隠し子、です。お相手はお父さんとつながりがある大物ハリウッド女優とも囁かれていますからね、たしかに、お子さんの顔は写っていない写真ですが、この栗色の髪の毛を見ると、その線も否定できませんね」

 芸能デスクが、いやあ、しかしこうも派手な話題が続くとどれが本筋か分からなくなりますねえ、とコメントしてワイドショーはCMに突入した。

「こうゴシップが続くともう誰も何も信じないはずだ。内田ショウは、ゲイかも知れない、隠し子が居るらしい、実はハリウッド女優とすでに結婚してるらしい。あとどんなゴシップを作ろうか?本当はデイヴィッド・ウチダの息子じゃないかも知れない、女かも知れない、地球外生命体かも知れない」

 ローレインの言う通りだった。もはやスポーツ新聞の内容は誰も本気にしていなかった。

「2ヵ月経ったら分かるって言ってたの、これのことだったんだ」

 ダイニングテーブルに広げたスポーツ新聞はマネージャーが買って来たものだ。スーパーの袋と栗毛のこどもを抱えて笑っていたのは、ローレインが初めてやって来たあの日だ。洗濯用洗剤かシャンプーの家庭的なCMのオファーが来そうですね、というのが、その写真を見たマネージャーの感想だった。

「そうらしい」

「どういうことか、説明して下さい」

 低姿勢に打って出ると、テレビを消したパパラッチが頭をかいた。

「俺にもどういうことか良く分かんないんだけど、俺が撮る写真は、何かを起こすらしい。いや、違うな。俺が撮った写真は、俺の意図に関係無く、変な事件に巻き込まれるらしい、って言った方が良いのかな」

「どういうことか、分かんない」

「俺にも分かんないんだってば。だからさ、俺をもうちょっとここに置いといてくれたら、何か分かるかも知れないよ?」

「もっとダイレクトに分かりやすく言ってくれませんか」

「俺と付き合って」

「変な写真を撮ることと、俺と付き合うことに、何の関係があるのか、まったく意味が分かりません。そもそも、マンション前で俺にいきなりキスしなければ、こんな変な事態は起こらなかった」

「俺と会わなければ、映画は日の目を見なかった。内田ショウは芸能界から消えていた。俺のお陰で映画が賞を獲ったとまでは言わないけど、何か影響があったかも知れないのは本当のことだ」

「ロー」

 手を洗いに行っていたはずのエマが、どういうわけか全身ずぶ濡れで戻って来た。ローレインを短縮した呼び方は既にお馴染みだった。

「オーケー。エマがこんなに懐いてるベビーシッターを手放すのは惜しいから、正式に雇用します。シッター契約はAP通信と結べば良いの?」

 両手を洗うだけなのに、どうやったらこんな濡れ鼠になれるんですか、お嬢様、と笑いながら手早くエマの服を着替えさせていたパパラッチが振り返った。

「サンキュー、ショウ。芸能人に対してパパラッチ、ノンケに対してゲイ、おまえが俺を拒絶する材料はダブルだから。だから、拒絶しないでくれるだけで、充分だよ」

 正式に3人暮らしが始まったのはそういう経緯だ。内田ショウには早速、マネージャーの予言通り洗濯用洗剤とシャンプーのCMに加え、映画と2時間枠のスペシャルドラマのオファーが舞い込んだ。

 ローレインという奇妙な名前の日本人パパラッチが実は世界中の情報筋で名を知られたカメラマンだと知ったのはそれから半年後、モロッコに旅発つ2人に置いて行かれたエマが神戸の祖父母に「ハネムーンってなあに」としきりに尋ねて困らせるのが、さらにそれから半年後の話だ。



C ローレイン